今日(4/18)の日経新聞朝刊「スイッチオン・マンデー・法務インサイド」に奇妙な記事が掲載されている。
職務発明について改正された特許法が、柔軟性に欠けているとして、産業界から「改正は失敗だった」
という声が上がっているという。
結論から言えば、記事は産業界(それも大企業だけ)の意見だけを取り上げたものでしかなく、
またその意見も改正特許法に対する誤解に基づくものでしかないように見える。
まず挙げられているホンダの事例は、「ある技術について社内の審査委員会の評価に応じて報奨金を出すことが、
『特許法三十五条に照らすとNG』なので導入できない」というものだ。
この記事で改正特許法のポイントとして示されているのは「『報奨規則が合理的かどうか」が重視されること」
とされている。
「ホンダが有望と考える順に報奨に格差を付ければ、結果的に報奨が減ったりなくなる技術者から支給基準があいまいとして訴えられかねない」
しかし、これは誤りである。
新職務発明制度における手続事例集p.21に以下の事例がある。
問1.対価の算定方式として、売上高又は利益といった実績に応じた実績報償を定め
ないと、不合理と評価されますか。
実績報償という方式で対価が決定されなければ、総合的な判断の結果として、不合
理と認められるというわけではありません。ケースバイケースですが、例えば、特許
登録時に発明の実施を独占することによる期待利益を評価してその評価に応じた対
価を支払うという方式であっても、対価を決定して支払われるまでの全過程を総合的
に判断して、不合理と認められないことも当然考えられます。
上記の通り、企業が「期待利益を評価して格差を付けて報奨を支払う」方式も新特許法では可能である。
これは平成16年度新職務発明制度説明会テキストに書かれている。
新特許法で最重要なのは「手続きの合理性」のはずである。
新報奨制度を導入するにあたって「きちんと従業員(研究者)と協議を行ったかどうか」
や「社内の審査委員会における基準が明確か」などが合理性として判断される。
ホンダの検討した報奨制度で、「結果的に報奨が減ったりなくなっただけ」で技術者から支給基準があいまいだとして訴えられるわけがない。訴えてもその時点で訴えの利益が明かでないからだ。
報奨がなくなったにも関わらず、その技術が特許化され、
製品の売上げに貢献したりライセンス収入が生まれて初めて、不合理であったということになる。
「評価委員会が評価しなかった技術を特許化した」というのは明らかにおかしい。
減額評価だったのに、代替の効かない技術として著しく売上げに貢献したのなら、後から追加で報奨を出すことができなければおかしい。
その意味で、ホンダが「三十五条に照らしてNG」と判断しているのは、
特許法改正の内容をきちんと理解していないのではないかと思わざるをえない。
また日立製作所の例では「有期エンジニア制度」を作って、プロジェクト毎に技術者と個別契約し、報酬は終身雇用の倍以上出す代わりに、三十五条の適用外として発明があっても対価はなく、成果が思わしくなければ契約は中止、というイメージだったという。これも不満に思ったエンジニアが裁判を起こしたらどんな結果になるか分からない、とのことで導入できなかったとされている。
高額報酬で意欲を引き出しやすく、外部の有能な人材を引き込みやすい制度とあるが、
エンジニアの立場からすれば企業にとってのみ都合のいい制度で、
エンジニアのメリットは高額報酬以外には全くないように見える。
プロジェクトが終了した段階で最終的な成功報酬が上積みされるならまだしも、
そうでなければそもそも応募するエンジニアが出てくるとは思えない。
三十五条がなかったとしても、とても成功する制度とは言えないだろう。
その意味で改正特許法とはあまり関係がない話である。
もちろん、「三十五条がある限り、訴訟リスクをゼロにはできない」というのが記事の主張であればその通りである。
「訴訟リスクをゼロにせよ」という主張は「企業から研究者への報酬は、企業の裁量で与える恩恵でしかない」
ということである。もし研究者が研究の成果から報酬を得る法的根拠がなくなれば、
現在のように報酬制度の整備が進められたとはとても思えない。
さらに記事には以下のようなくだりがある。
そもそも司法が対価を決めるのではなく、企業の自主的取り組みを重視しようというのが法改正の出発点。
それで企業の国際競争力が増せば技術立国を目指す国益にかなうとの了解があった。
ところが柔軟性に欠け、技術者側にも目に見えるプラスはない。
司法が対価を決める問題の1つには、裁判所ではいわゆる技術の善し悪しの判断ができない、
という産業界の不信があった。しかし、それを受けて東京高裁に知財高裁が設けられた。
その意味では、そもそも出発点から変わってきており、
改正特許法で「手続き論」が加えられ、裁判所が判断しやすい仕組みも作られている。
その評価を待たずに「改正は失敗」というのは、あまりにも身勝手と言うしかない。
企業が発明者に報いる制度を整備させるには、三十五条を欠かすことは出来ない。
「柔軟性に欠け」とあるが、欠けているのは企業自身の柔軟性ではないか。
目には見えなくても、発明者に報いる制度が浸透することは、
技術者にとってなにものにも代え難いプラスである。
改正特許法が求めているのは、企業による技術者に対する説明責任であり、
技術者の納得だ。テレビ報道では技術者を集めて、新しい職務発明制度に関する説明会を実施した企業の例なども紹介されたことがある。
企業のメリットばかりで従業員が納得しないどのような制度を作ったところで、成功するはずがないことを企業は知っているべきである。
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